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市の沿革

ページ更新日:2017年3月31日

瀬戸市は濃尾平野の東、尾張丘陵の一角にあって、中部経済圏の中心地である名古屋市の北東約20kmに位置しています。
周囲を標高100~300mの小高い山々に囲まれ気候も温暖。しかも丘陵地帯には瀬戸層群と呼ばれる新第三紀鮮新世の地層があり、やきものの原料となる良質の陶土やガラスの原料となる珪砂を豊富に含んでいます。
北部や東部の山間地帯には、松などの樹林が広がり、かつては、こうした恵まれた自然が、瀬戸の窯業の発展に大きな支えとなってきたのです。こうした自然や時代の移り変わりを背景に、窯業に携わってきた人々のたゆまぬ努力のおかげで、せとものは、やきものの代名詞として日本のみならず、世界の人々に知られるようになりました。

明治11年(1878)に郡区町村編成法、同22年(1889)に町村制が公布されると、近代的な自治体である「瀬戸村」となり、次いで明治25年(1892)には「瀬戸町」となりました。
さらに大正に入ると、隣接村の合併に意欲をみせ、大正14年(1925)には、赤津村および旭村の一部(今村・美濃之池村)を合併して、着々と市制施行への準備を整えました。

それから4年後の昭和4年(1929)10月1日、愛知県で5番目の市として、新生「瀬戸市」の誕生をみたわけです。

その後も市域の拡大に努め、昭和26年(1951)には水野村と合併、同30年(1955)には幡山村、同34年(1959)には品野町と相次いで合併し、現在、市域面積は111.40平方キロメートル、人口は13万人を超えるまでに発展しました。

瀬戸市には、このような長い間培われてきた歴史や伝統、文化があり、また、豊かな自然もいまなお多く残されています。

 

今村 明治22.10.1
八白村一部
明治39.7.16
旭村一部
大正14.8.25 瀬戸町 昭和4.10.1
瀬戸市
美濃之池村
瀬戸村 明治25.1.29 瀬戸町
赤津村 大正14.8.25 瀬戸町
上水野村 明治22.10.1
水野村
昭和26.5.3
瀬戸市
中水野村
下水野村
本地村 明治22.10.1
幡野村
明治39.5.10
幡山村
昭和30.2.11
瀬戸市
菱野村
山口村
下品野村 明治22.10.1
下品野村
明治39.7.16
品野村
大正13.1.1
品野町
昭和34.4.1
瀬戸市
中品野村
上品野村 明治22.10.1
上品野村
白岩村
片草村
上半田川村
下半田川村 明治22.10.1
掛川村
沓掛村

 

瀬戸市の地理

位置

 

東経/西端137度2分、東端137度11分

北緯/南端35度10分、北端35度18分

標高/最高692.2m、最低38.2m

面積/111.40平方キロメートル

広ぼう/東西12.8km、南北13.6km

市役所の位置

 

東経137度5分3秒、北緯35度13分24秒

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